コラム

もののけ姫のルーツ!? 鴨川の源流、雲ケ畑の岩屋山志明院!

京都と言えば鴨川!
その源流では妖怪跋扈!?
 
 
 
京都の川と言われて真っ先に思い浮かべるのはもちろん鴨川! ですよね。
普通の京都観光はもちろん、近年では『けいおん!』や『輪廻のラグランジェ』、森見登美彦先生の『有頂天家族』や『夜は短し歩けよ乙女』など、小説やアニメの舞台になり聖地巡礼に訪れる方もいらっしゃいます。
 
地元民だって負けてはいません。
小さな頃は鴨川デルタで川遊び、学生時代は授業でマラソン、大人になった今では恋人と一緒に鴨川等間隔の法則作ってます! という方も多いのでは?
 
観光客にとっても京都人にとってもいつでも訪れたい場所、それが鴨川。
けれど実はその鴨川の源流を祀った『岩屋山志明院』という寺院には不思議な噂がいっぱいなんです!
なんでも変な音がするだとか、幽霊が出るだとか、妖怪が集まっているだとか……?
しかもあの宮崎駿監督の『もののけ姫』のアイディアが生まれた地なんだとか!
 
今回は京都人もめったに知らない謎の寺院、『岩屋山志明院』をご紹介していきましょう!
 
 
鴨川の源流ってどんな場所?
 
 
鴨川を遡ると、京都北区北東部の山間地域である『雲ケ畑』という場所に辿り着きます。
かつては鴨川の源流域として朝廷との結びつきが深く、朝廷への献上である鮎や菖蒲などを用意する供御人の活動地とされるなどしていました。
 
しかし今では住民が200人にも満たないほど人口が減少しており、小学校も廃校。
交番や郵便局、医療機関などもなく、市街地からアクセスする方法は一日往復2便のバスのみとなったとても静かな地域です。
 
 
そんな雲ケ畑の山を登った先に、鴨川の源流となる山水がしたたり落ちる聖域、岩屋山志明院があります。
 
 
歌舞伎の舞台にもなった岩屋山志明院
 
 
岩屋山志明院は650年(白雉元年)に役の行者が草創し、829年(天長六年)に弘法大師が「賀茂川の水源地を祈願し祀らなければ都に平穏はない」と淳和天皇の御叡願により再興され空海直作の不動明王を祀った真言宗の寺院です。
 
つまり650年に山で修行をしていた山伏さんがお寺を建てた後、829年に弘法大師空海さんと当時の天皇である淳和天皇さんが「賀茂川の水源なんだから水害が起きないようにちゃんと祀ってあげないと!」と言って作り直したお寺なんですね。
 
この寺院が登場する有名な物語として、歌舞伎の十八番のひとつ『鳴神』があります。
 
岩屋山の僧である鳴神上人は、世継ぎのない天皇からの依頼で皇子誕生の願掛けをする代わりに寺院建立の約束をする。
願掛けは見事成就したが、天皇は寺院建立の約束を反故にした。
怒った鳴神上人は三千世界の雨を降らせる竜神を飛竜の滝壺(志明院)に封じ込め、黒雲坊と白雲坊を従えて護摩の岩屋に籠ってしまう。
竜神を失い国中が旱魃(かんばつ)に襲われ、民百姓は困り果ててしまった。
苦しむ民を救うため朝廷は雲の絶間姫という洛中一の美女を遣わせ、色仕掛けで鳴神上人を惑わせ破戒させた。
酒に酔い潰れた鳴神上人の隙をつき、姫が竜神を封じ込めた護摩の岩屋の注連縄を切る。
すると封印が解けて竜神が飛び出しやがて豪雨となった。
姫はその場から逃げ去ったが、雨音に飛び起きた鳴神上人は事の次第にようやく気付き、烈火のごとく怒り狂い髪は逆立ち着物は炎となって姫を追いかけるのであった。
 
竜神を封印した場所だなんて、ファンタスティックでワクワクしますよね!
さらにこの志明院、あの司馬遼太郎が訪れて不思議な体験をした『物の怪の世界』でもあるんです。
 
 
司馬遼太郎が語る、モノノケの地
 
 
日本の小説家、ノンフィクション作家などとして有名な司馬遼太郎は、若いころから有名な作家になった後に至るまで何度もこの志明院を訪れ、そのたびに不思議な体験をしたといいます。
 
「山籠もりをしている際、夜になると部屋の障子やふすまを叩く音がした」
「屋根の上で四股を踏む音がした」
「行者が九字を切ると竜火が浮かび上がった」
 
など、本当だとしたらとても恐ろしい話ばかりですよね……。
この志明院での不思議な体験が『梟の城』や『妖怪』などの小説の誕生に役立ったのだとか。
のちに彼は志明院での体験を宮崎駿に語り、それがあの有名な『もののけ姫』の制作に繋がりました。
人里離れた神秘霊峰での『もののけ』との出会いが様々な名作を生みだしたんですね!
 
 
神秘霊峰岩屋山志明院に行ってみよう
 
 
現代に残る神秘の地、岩屋山志明院。
どんな所か気になりますよね?
 
ネットや本などで調べてみると、司馬遼太郎の怪奇体験も手伝ってか「霊が出る」「妖怪が集まっている」「霊感が強い人は感じるものがある」「京都屈指の魔所である」などと言ったこわ~い噂が絶えません……。
 
こんなところ取材に行って大丈夫? と調べてみると、やっぱり撮影は禁止なんだとか。
さすが京の清流を祀る神秘の山。ガードが堅い!
 
ということで、撮影許可ギリギリの志明院楼門前までの道のりとその先のレポートをお伝えしましょう。
 
 
市街地から岩屋山志明院への道のりは、北大路駅そばのバス停から出ている『雲ケ畑もくもく号』というバスに30分ほど乗り終点『雲ケ畑岩屋橋』まで行き、そこからさらに徒歩30分ほど。
 
ということでまずは地下鉄に乗り北大路駅へ!
5番出口から出て右に進みすぐの交差点を右に曲がると、すぐに京都バスの停留所が見えます。
『雲ケ畑もくもく号』の停留所も兼ねているので、もくもく号の名前が書いていなくても一緒に並んでしまいましょう。
 
 
8時40分、バスがやってきたので乗り込みます。
定員オーバーとなった場合は運転手の方が追加のバスを要請してくれるので、乗れなくても慌てず次のバスを待ちましょう。
 
志明院に行くには30分ほどかけて終点『雲ケ畑岩屋橋』まで乗る必要がありますが、その間運転手さんに終点までの道のりをガイドしていただけるので退屈しません。
 
到着!
 
 
 
 
バス停の近くには案内図や食事処のほか自動販売機や公衆トイレがあります。
志明院へはここからなにもない厳しい坂道を30分歩かなければならないので、必要なことはここで済ませておきましょう!
 
案内図で道を確認し、志明院への坂道に挑みます。
 
 
道はアスファルトで舗装され、川との間もガードレールで仕切られていています。
 
 
 
しかし時折山から流れ落ちてきたらしい切りっぱなしの木材がガードレールを押しつぶして川に突っ込んでいるのが見られるので、雨天など天候の悪い日は訪れないのが無難かもしれません。
 
 
脇道に逸れたりせず進めば着くはずですが、道中本当に何もなく、自然に囲まれた道路が続くのみ……。
しかも途中スマホが圏外になりました。
このまま進んで大丈夫なのか? と不安になってきたころ、突然山の斜面に石像が。
 
 
しかも複数あります……。
 
 
これはと思い歩を進めると、やはり!
 
すぐそばにありました。
岩屋山志明院、到着です!
 
 
 
え、ここが寺院なの?
なんだか山奥にある旅館の入り口みたいだけど……。
なんて思いつつ右手にある階段を登ると、歴史を感じさせる古い建物が現れます。
画像右上に少し見えているものですね。
やっぱりひと昔前の小説家が執筆のために籠る旅館みたい……と私は感じたのですが、どうやらそこは社務所兼住職のご住居だそうで、建物の前で奥さんが出迎えてくれました。
社務所ではお守りや御朱印のほか、志明院を紹介するパンフレットやご住職である田中眞澄さん執筆の司馬遼太郎と志明院との関係についての随想が載った会誌が購入できます。
調べてみるとかつては志明院での宿泊もできたようで、ひょっとすると社務所兼住居兼宿泊所だったのかもしれません。
住居なので、やはり近くでの撮影は禁止だそうです。
 
 
社務所周辺の景色です。
この左に見える小さな屋根のある場所で入山料300円を支払い、さらに財布やスマホなど必需品以外の荷物を預けます。
簡単な地図と共に門を入った先の説明をしていただきました。
 
社務所のすぐ脇にある手水舎で手を清めます。
 
 
飲んでも顔を洗ってもいいということで、夏の坂道ですっからかんになってしまったペットボトルいっぱいに汲んで飲料水を確保しました。
唯一撮影が許可されている楼門をくぐり、志明院へと足を踏み入れます……!
 
 
 
撮影厳禁!
楼門の先は神秘の聖域
 
 
門をくぐると中は別世界。
さっきまでアスファルトとガードレールの道を歩いてきたことを忘れてしまいそうな、俗化されていない聖域です。
道の脇にあるいくつものお地蔵様が出迎えてくれ、そこかしこに建てられた摂社や鐘楼を見て回りながら進むと、太い男性の声でお経が聞こえてきました。
扉の閉ざされた本堂で参拝者が読んでいたもののようで、たくさんの虫の声と混じって現離れした雰囲気を醸し出しています。
大自然に囲まれた山の谷間にひっそりと建つ本堂には、いくつかのお供え物とひっそりと立てられた線香と蝋燭が。
同じ時間帯に来た参拝者以外には人気がまったく感じられず、ただそこにある自然を祀るためにほんの少し人の手を入れただけの不思議な空間でした。
 
本堂の先には『飛竜ノ滝』がありました。
歌舞伎『鳴神』で三千世界の竜神を封じ込めた場所ですね。
竜を模った小さな銅像の奥を見上げると、岩の上に小さな社のようなものが建てられており、その先に突き出した水路から細い滝が流れています。
岩の上から絶え間なく水が流れ落ちる様は堂々として荘厳!
 
二手に分かれた道を曲がれば、鳴神上人が籠ったという護摩の岩屋が。
そこで一度手を合わせ、元の道に戻り石で組まれた足場の悪い階段を登ります。
 
楼門を抜けてから格段に増えた虫にぶつかりながらひたすら進むと、突然明らかに人工物の金属でできた階段が現れました。
ヤックルの背に乗って山を散策していたら現代の工事現場に出くわした気分です。
その現代ちっくな階段を登りきりますと、広い舞台に出ます。
 
舞台の隅っこに、ぽつん……ぽつん……と雫が落ちる岩間がありました。
虫の声しか聞こえない静かな場所で、注連縄で作られた結界の奥の岩の空洞からかすかな音と共に透明な水が絶えることなく滴り落ちていきます。
 
そう、この小さな雫こそが、やがて京都を貫流する鴨川の最初の一滴!
鴨川の源流、たどり着けました。
 
 
あなたもモノノケに会いに行こう!
 
 
霊がでるとか妖怪がいるとか不思議な噂が絶えない志明院。
しかし実際こうして来てみても、河童もぬりかべも出てきてくれません……。
ということで社務所で迎えてくれた住職の奥さんに不躾ながらそういう類の噂について尋ねてみると「幽霊なんて出ないわよ」と一刀両断。すみません!
しかし代わりに面白い話を聞かせてくれました。
 
50年くらい前、私がここに嫁いできてすぐのことなんだけど。
ここ(社務所)で寝ているとね、明け方に人の大きな笑い声が聞こえてきたの。
びっくりして飛び起きて、外を見てみたけれど、誰もいない。
朝になって聞いてみると、私が笑い声だと思ったものは梟の鳴き声だったのよ……。
 
なるほど!
志明院のモノノケの正体って、都会で出会えない虫や動物、植物が作り出す音と、人ならざる何かを恐れる人間の心理だったのかもしれませんね。
 
未だ神秘を守り続ける霊峰岩屋山志明院。
あなたも是非、モノノケの正体を確かめに行ってはいかがでしょうか。
 
 

投稿日:2018.02.21

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